She is

n回目こそ幸せになろうね

愛を使い果たした

「あなたがいなくちゃ生きていけない」その気持ちは本物だった__生きるガール

 

 

わたしは結局、2017年の12月31日で3年間ずっと好きだった男の子を降りた。

 

今更なにかを言うことを求められているとは到底思えないけど、Twitterを辞めてから、辞めるまで、ずっと考えてたことを書くね。

とにかく好きになってからずっとがむしゃらに前を向いて、感情のすべてを彼に使ってきた。嬉しかったことと、虚しかったことが同じくらいある。

こうなってしまった今、どうしても悲しかったりだとか、嫌なことを思い出す方が多くなってしまったけど、ちゃんと思い出せば楽しかったことだってそれなりにあったはずだった。

最後の方は何のために頑張っていたのか、好きという気持ちがどこに向かっているのかあやふやになってしまったけど、きっかけはもっと単純な気持ちだった。

 

そんな風な、「きっかけ」のきらきらした尊い気持ちをずっと持ちつづけられる人はどれくらいいるんだろう。

突き詰めて言ってしまえば、Twitterというツールを、ただただ他者とのコミュニケーションツールとして純粋に使えるユーザーは果たしてどれくらいいただろう。

 

わたしは、こうなってしまった結果はTwitterを始めたことにあると思っていて、本当に降りる直前にはTwitterなんか始めなければわたしはずっとずっと彼のことを好きでいられただろうに、と考えていた。

今でもそれは間違ってないと思うし、それはそう、という感じなんだけど。

 

叩かれても負けないのが強いオタクなんだとしたら、わたしはどうがんばっても強くはなれなかったと思う。

わたしの周りには心無い言葉を言われ続けている子たちがたくさんいたけど、その子たちは口を揃えて「気にしてない」「書いてるやつらの方がよっぽどブス」「どうせ僻み」と平気な顔をして言っていた。本当に平気だったかはさておき、それにはかなり衝撃を覚えた。マジか。

彼女たちが本当に傷ついていないのか、それはわからないけど、そう思える精神力が必要だったんだと思う。弱みを見せたらつけこまれるかもしれなかったから。信じられる友達が一握りどころかひとつまみしかいなかったのは事実だった。

 

わたしは言われることひとつひとつに傷ついていたし、Twitterを開設している間の半分以上はずっとつらかった。夏の考査の勉強中にリアルタイムで自分の悪口が更新されていくあの気持ちは多分一生忘れないだろう。

 

それでも11月初頭まで約1年、オープンのアカウントを続けていたのは、彼が好きだったちいさなプライドだった。オープンにこだわり続けたのは身の潔白を証明するため、すべて公開することで探られるのを防ぐ目的もあった。探られるのが嫌なら全部見せればいいじゃん、ということで。

 

Twitterを始めたきっかけは彼が好きなことを誰かと共有して、イベントで好きなひとのカードを見て喜んでいる誰かに、またはわたしに、よかったねだとかかっこいいねだとか、そういうことがしたいなと思ったから。

それまで一緒に行動してくれていた友達はわたしほどガッツじゃなかったから、同じくらいの熱量で動ける友達ができたらもっと楽しいだろうなと思ったから。

 

実際、Twitterをはじめてすぐに仲のいい友達が何人かできて、新潟に弾丸で行ったりだとか、京都まで足を運ぶことができてすごく楽しかった。アニカフェだって、ガッツではない友達に付き合ってもらって期間中1回行けたらいいかな、というくらいの程度のものからいろんな子と何回も行けるようになって、イベントがあれば「応援してる」と声をかけてもらえるようになった。

明け方まで電話をしながらイベントを走った。全部、わたしの憧れていたことだった。だから、体面的にはTwitterをはじめて理想は叶えられたんだと思う。

 

ただし、引き換えにわたしはいろんな人に嫌われてしまった。本当に残念だけど。

Twitter上でいわゆる「有名」みたいな、そういう扱いを受けるアカウントがどこの界隈でもいることは知っていた。アイドル、俳優界隈とか、二次創作をしてる方々とか、それこそソシャゲだって有名なランカーとか、そういった人たちがをさまざまな掲示板であることないこと書かれているであろうことは。

ただしわたしが知っているそれらの人たちは、フォロワーが4桁いたり、ブログが面白かったり、1回のガチャに何百万と課金していたりする人たちで、よもや1回のイベントで20万程度使うか使わないかくらいの、フォロワーだって50人程度(それも相互だけ)のわたしが対象になるとは思ってもいなかった。

新たな関係を築こうとする上で、誰かに嫌われる可能性があることはわかっていたし、そもそも実際に生きていてもわたしを嫌う人は嫌うだろう。でも、実際に接する人間はわたしに直接「死ね」とは言わないし、そっとフェードアウトしてくれる。

 

だから、わたしが掲示板で取り上げられていることを知った時は本当にびっくりした。恥ずかしながらわたしは二次元を好きになるのが初めて(アニメを見たり漫画を読んだりすることはあったけど)だったので、該当掲示板はV系のサイトというくらいの認識しかなくて、嫌な予感がして自分のアカウント名を検索した時にスレッドの存在を初めて知った。

人はここまで、よく知りもしない人間に悪意を向けられるのだな、と思った。

 

Twitterであれど、それを活用しているのは紛れもなく人間で、その向こうにはひとりひとり人生があるのに。

そして、わたしは自分と同じものが好きな人たちの実態があまりにもひどいものでうんざりした。それは好きな人たちの全部ではないけど、紛れもなく一部であって、実際わたしが関わった人の中にも「悪意を向ける側」の人は存在いていて、本当かどうかも分からない話を、他人を傷つけるためにしている。

 

あの人たちは、誰かを陥れるために誰かのことを好きになったのかな。多分違うよね。

誰かを好きになってしまったゆえに誰かを嫌いになって、その結果が他人を傷つける原動力になってしまうのは、あまりにも悲しい結果だと思う。

 

説教じみたことを言ってしまったけど、結局悪意を向けら続けることがつらくてだんだんとジャンルに居続けることがしんどくなって降りたので、そこに関しては誰のせいとも思ってないよ。

他にも、時給1000円で月10万稼ぎながら大学に行くことが厳しかったこととか、人生を考え直したときにこのままでいいのかと思ったこととか、理由はそれだけじゃないから。

実際問題いろいろな選択をしたのはわたし。Twitterを始めたのも、彼を降りたのも、全部わたしのせいなので。

 

結局わたしは彼のことをまだ好きなのでゲームはプレイしてるしライブも行くけど、あの頃の熱量は一生取り戻せない。

それでも、なんだかんだ「人生で一番好きだった男の子」に代わりはないので、応援しています。アイドルも、高校生活も、これからの人生も。幸せになってほしいなって思ってる。

 

わたしの人生において、彼のことを好きだった瞬間がかけがえのないものだったことは紛れもない事実で、好きだったことも、好きだったときにしたこと、全部後悔はしてないんだよ〜ってことをわたしのために残しておきます。